平成とケータイ。
こんにちは。
スマホ修理ジャパン川越店です。
平成が終わります。
意外とあっさり終わってしまいます。
年号が変わるだけ。ですが。何処か寂しい気もしますね…
自分は平成生まれ、平成と共に育ってきたので…余計にさみしい…
(詳細はiPhone maniaさんの記事で御覧ください)
そんな去りゆく平成と共にあったもの…ケータイです。
平成後期はスマホの登場で、すっかり時代遅れと言われるようになったガラケー。
それでも、思い出は一入です。
そして最初のケータイがdocomoだった、なんて方も多いと思います。
(自分もそうでした、富士フイルムのCCDハニカム搭載だったと記憶しています)
当時は電波強度が今よりもずーっとシビアだったので…繋がりやすさといえばドコモって感じでした。
まだauは生まれたてでしたし、SoftBankもない時代。
J-PHONE(後にボーダフォン)やツーカーなど今は見かけないですが…当時テレビCMで見ない日はありませんでした。
「建物内で繋がりやすいのは〇〇社」なんて特集が雑誌で組まれたり、光るアンテナを付けるのが流行ったり…
ピッチ派とケータイ派で分かれたり、メールの早打ちで競ったり…
バッテリーの蓋の裏にはプリクラ…ストラップは大きい物が可愛い…
あと赤外線通信とかも当時は画期的でしたね…
そして当時の学生はパケット代による死を恐れていました。
(今の学生が通信制限を恐れているのを見ると微笑ましいくらい、当時は高かったんです)
そんな思い出いっぱいのケータイと平成の歩み。
上記の記事内で詳しく紹介されているので、気になる方は是非。
ザ・ノスタルジー…
スマホもいつかはノスタルジーの一部になるのでしょうか…
その分、進化していくワクワクも得られるのでしょうけれど…
過ぎたら寂しくなってしまう。歳をとるのは因果なものですね…